頭と心の綱引き。 おばあちゃんの思い出。 忍者ブログ BS blog Ranking
頭と心の整理をする場所。好きな音楽のこと。
May / 17 Fri 11:48 ×
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September / 18 Thu 10:20 ×
先日、母方の祖母が亡くなった。

おばあちゃんは難病である膠原病を患い、2年くらい前から肺が固くなる症状などと闘っていた。
入院したこともあった。退院した日の車の中、おばあちゃんは少し歩くだけで、100m走でダッシュしたくらいに息切れをしていた。

でもおばあちゃんはどんなときでも、「なんてことない」空気を出す天才だった。

横で心配するおじいちゃんに「もう!大丈夫やからほっといてっ」となぜがキレ気味。
人一倍心配されるのを嫌がる傾向にあったと思う。
症状は進行している…車を運転していた母も、私も、心の中ではそう感じていたけど、
おばあちゃんはいつもと同じようにとりとめのない話しをして笑っていた。

帰りに退院祝いにホテルのバイキングで食事。
その時になかば無理やり一緒に撮った写真が、最後の写真になった。
もともとあの歳の割には背が高く、ふくよかな…はっきり言うと太め体型のおばあちゃんが、
薬の副作用でさらにパンパンになった頬で、少し恥ずかしそうに映っていた。


口ぶりはさっぱりとしていて、いつも明るかったおばあちゃん。
亭主関白だけど子供のまま大人になったみたいなおじいちゃんに、時に(しょっちゅう?)子供をしかるような口ぶりで話していたけど、立てるときは立てる、仲の良い夫婦だった。
二人で小さな町工場を経営しながら、50数年寄り添ったふたり。


私は、おばあちゃんが大好きだった。
幼いの時からおばあちゃんの家に泊まるのが好きで、帰るときは泣き叫んで嫌がり迎えにきたお父さんをしょっちゅう困らせた。

おばあちゃんたちにとって、長女の子供である私が初孫。孫の中でも一番近くに住んでいる。
そのせいもあってか、とても可愛がってもらっていたように思う。

「おかあさんには内緒やで」
そう言ってこっそりおこづかいをくれるのがお決まり。(たいていはバレていたが)

大人になってからも、おばあちゃんはいつも味方だった。

母とひどい喧嘩をして、おばあちゃんちに逃げこんだことも何度かあった。ここ一年以内にも…(我ながら大人げない)。
泣きながら話す私に、「ほんまか」「お母さんそんなこと言ったんか」と、うんうんとうなづきながら話しを聞いて励ましてくれた。

「ここに来たこと、お母さんには言わんとってな」
「わかった、言わへんよ^^お腹は空いてないか?」

空いた、というと、冷蔵庫から冷凍ピザを取り出して焼いてくれた。

ひとつ後悔しているのは、
最近少しひさびさに会った時、

「ひさびさやな^^元気しとるか?」
「ちょっと前まで死にたかったけど今は大丈夫(笑)」

ほんとに気が病んでた時期だったから何気なく言ってしまったんやけど、
後から聞くとおばあちゃんは夜も眠れないほど心配で母に電話がかかってきたそう。
それを聞いて、無駄におはあちゃんを心配させたことを悔やみ、同時に改めて愛を感じた。


おばあちゃんのつくる料理は昔から、同じ料理でもなぜか母よりおいしく感じた。
もうあのお味噌汁も、お正月のお決まりだった絶品の黒豆も、もう食べることができない、、

おばあちゃんは、私がお気に入りの服などを身につけていると必ず、
「LEMON、それキレイなん着とるな^^」
「それイイやん」
と、気づき、褒めてくれた。親類の大人の中でもただ一人。感性が似ていたのだろうか、
そのひとことがいつも嬉しかった。


「おばあちゃん、倒れてん。今すぐ帰っておいで」

その電話があった時私はいとことショッピングをしていた。
急いで帰るとすでに自宅で息を引き取っていた。

言葉の出ない私に、母が

「もう、慰めてもらわれへんな」

知ってたんやね。。。

今思えば難病で定期的に市民病院に通院していたおばあちゃんが辛かったのは当たり前なのに、
そう思わせない強さがあった。

「おばあちゃん、病気のことも、死ぬことも、なぁんにも怖いもんないねん」

と、本当にあっけらかんと話した。強い人だった。


身よりが一人もいない知り合いのおばあさんが入院して亡くなるまで、おばあちゃんだけは定期的にお見舞いに行っていた。

姑などの介護を二回は経験してるおばあちゃんだけど、泣きごとなんて聞いたこともない。
「なんてこともない」ようにいろんなことをこなしていた。


最後に一緒に食事をしたのは、今年のお盆かな。親戚みんな集まって、退院した日と同じホテルでのバイキング。

帰り際、すこし離れていたところにいた私のところに速足でやってきて

「おかあさんに内緒やで」

と、お金を握らせてくれた。おばあちゃん、私もうすぐ三十路のアラサ―やで…色んな意味で泣けた。
おばあちゃんにとってはいつまでも孫なんだな。
しかし母によると、お金を握り締めて「LEMONは?LEMONはどこいったんで?」と探していたのでバレバレだったそうだ。


本を読むのが大好きだったおばあちゃん。本棚には大量の文庫本。
亡くなるすこし前に白内障の手術をして、よく見えるようになってますます本が読めると喜び、最後まで前向きだった。

石川遼くんの大ファンだったおばあちゃん。テレビ観戦はもちろん、毎回ネットで試合結果をチェックするほど。

偶然か、そんなおばあちゃんの告別式は昨日、遼君の誕生日の日に執り行われた。

(ちなみに、棺の中のおばあちゃんの頭に、泣きながら遼君モデルのサンバイザーをかぶせたおじいちゃんは、さすがにそれはやめてと娘に怒られていた)

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